きれ端ノート

木端みの日記帳

俳句と描くこと、観察という点で似てる。

デッサンでよく言われる「描くことは見ること」というのが、キャラクターイラスト的な絵を描くときに言われないのはなんでなんだろう。

俳句を作り始めてデッサンやクロッキーと似ているなと思うのは、観察が大事だからだと思う。

作ること全般に言えることなのかもしれない。

作る力は、見て考える能力によるところが大きい気がする。

描いたり書いたりすることは、その過程で見る力・考える力を鍛える。

数をこなさなくても、うまいものができればいい。自分にしっかりした見る力があって考えがあって、直せればいい。

それはそうかもしれないが、描かなくても、書かなくても、手を動かし作らなくても、直すための見る力や考える力は備わるもんなんだろうか。

それは、作ること以外で補えるものなんだろうか。

私は描くことが好きだし、効率的ではないだろうが、それによって見方や考え方を与えてもらってきた。

でも描くことが嫌いな人が、でも何か描きたいと思って、描かずに直す力を手に入れたい時。何が有効なのか、それは描くことより楽しいだろうか。

そんなことを色々考える。最終的には、作者に愛される作品がひとつでも増えるなら根性論以外の道でもいいんだよなぁ。